五十嵐ちひろの頭の整頓

考えたことを文章に残しておきます。

路線バスローカル線の必要性について考える

初めましての人もそうでない人もこんにちは。五十嵐ちひろです。普段からブログを書いているのだけど、自分の住む島や、そこでの暮らしについての話がメインなので、少しずれるかなあ、と思うようなことはこちらに書いていくことにする。普段のブログとか、わたしの素性についてはこちらをご覧ください。↓

地方に移住してみて、思っていたよりも大変だったことは公共交通機関の利便性の低さだ。なんと言っても本数が少ない。定期船に関しては正直そこまで文句は無い。好き好んで離島に移住したからには、定期船の時間に縛られた生活にはある程度がまんすべきだと思うし、船が日に10往復しているのだから、そこらの離島よりはずっとマシな状況と言える。

ただ、定期船に乗って本土へ来てみた所で、電車やバスもまた本数が少なく、本数が少ないもの同士を乗り継ぎダイヤにするのも不可能に近く、乗り継げば乗り継ぐほどロスする時間が多くなる仕組みになっている。隣町の医者へ行くのでも半日がかりの仕事になってしまうのが実情だ。その為多くの島民は本土に車を置いている。地方はどこも車社会なので、当然と言えば当然だ。

でも車を運転できないお年寄りや未成年などは、多くの場合電車やバスを利用して目的地に向かうが、時間の制約を受けずに目的地に向かう方法として、乗り合いも利用している。本土に家族や親戚を持つ人は、船の時間に合わせて迎えに来てもらうことも多い。また、同じ船に乗っていた知人に頼んで目的地まで送ってもらうことも決して珍しくない。わたし自身、「通り道だから乗っていきな」と言ってもらえたことが何度かある。乗り継ぎ時間も合わせて電車と徒歩を組み合わせたら、1時間近くかかってしまう耳鼻科に20分程度で着いてしまったので、普段自分がどれだけ時間を無駄にしているのか、と軽くショックを受けた。

電車やバスの本数が少ないのは利用者が少ないからだ。しかし、移動手段の無い人にとっては多少利便性が低くても利用せざるを得ない。その為鉄道会社やバス会社は、廃線することができない。自治体は補助金を出したり「路線を残すために利用しましょう」と言ったりするが、その為にわざわざ不便を被ってまで時々バスを利用する人がいるのか疑問だ。「バスが必要な人たちの為に路線を残す必要があります。運営費に充てるので現金を下さい」と言った方がよっぽど趣旨は伝わるんじゃないかと思う。一人暮らしの老人の家族とかは、それで寄付するかもしれないよね、家族の生活にとって欠かせないものなら。だけど、大多数の人はバスや電車が無くても困らない。

そんな状況を解決するために、乗合自動車サービスができたらいいとわたしは思う。同じ方向に向かう車に便乗させてもらって少しばかりの運賃を支払う、というもの。海外だとそれ専用のアプリもある。現状日本の法律では白タク行為にあたるらしくって、できないみたいだけど。観光地でタクシーが足りなくなっているところで、規制緩和するより、地方でこそさっさと導入させて欲しい。

今なら地域コミュニティが機能していて、好意で車に乗せてあげたりできる社会も、いつまで存続するか分からないし、だったらお金を払ったり貰ったりした方が、色々やりやすい場合だってある。近所の人の好意に甘えるより、知らない人にお金払った方が気楽だと思う人もいるだろうし。

この際バスも電車も廃線にしちゃおう。浮いたお金で配車のシステム開発したり、その他の福祉サービスを充実させよう。無理にバスや電車を存続させようとするよりも、ずっと建設的なアイディアだと思うんだけど、どう思いますか?